【硬式野球】佃駿太主務インタビュー チームと個人、成長の四年間

硬式野球
試合を見つめる山田拓也主将(左)と佃主務(右)

マネージャー・主務として青学大野球部を4年間支えた佃駿太(総4)主務。1番近くでナインを見守り続けた影の立役者に、大学野球生活を振り返っていただきました。

ーこの一年間を振り返って

東都の面白さを実感した一年間だったと思います。やはりそう簡単には勝てないですね。春季リーグではあと一勝で最下位を回避できるところで、秋はあと一勝で優勝が決まるところで勝ち切れませんでした。個人的には、前の年より練習なども全部やり切って試合に望めているとは思っていました。それでもやはり勝ち切れないということは、甘さがあったのかなという風に感じていますね。

春に山田拓也(経4)キャプテンに取材をした際も、「昨シーズンはあと一勝が取り切れなかった。それがチームの課題だ」と話していました。練習の充実度は去年よりも上がりましたか

一人一人の取り組みに関しては、前年度よりも意識は高かったのではないかなと思います。ただ結果的に優勝には届かなかったので、まだ足りなかったという風に振り返ってます。

熊本凌(法3)マネージャー(左)と共に笑顔で写真に映る佃駿太主務(右)

今年練習のクオリティが上がったのは、一部リーグで一年通して戦えたということも要因の一つでしょうか

そうですね。前年に一部リーグを一年通して経験してみて、このままじゃダメだな、というのが分かったので。本当に優勝するために必要な行動を四年生中心に一人ひとり考えて、下級生もそれについてきてくれたのではないかなと思います。

佃さんは青山学院高等部時代、当時高等部を指導していた安藤寧則監督の下でプレーをしていたと伺いました。佃さんが大学に入学するとともに安藤監督も青山学院大学野球部の監督に就任しましたが、監督と過ごした七年間の思い出を教えて下さい

はい。自分の高校三年の夏が終わると同時に安藤監督も高等部野球部の監督を引退しました。引退の際、大学野球のマネージャーをやりますと伝えたんですがその時は「そうか、行ってこい」としか言われず、来年度から青学大野球部の監督に就任するとは知りませんでした。でもいざ入部すると、いる、みたいな()。思わぬプラス4年間でした。安藤監督はやはり一番尊敬する人ですし、本当に勉強になることばかりで、監督がいなければ今の自分はいないんじゃないかという風に思います。

安藤監督には高等部の時から人としての部分の指導をよくしていただきました。野球の技術はもちろんですけど、人として、こういう時はこうするのが普通だぞ、と教えてくれたのが人間的な成長にもつながりました。

高等部の頃、「お前はすぐ諦める」とよく言われていました。「諦める」とはプレーの部分です。ショートで難しい打球を取った時、間に合わないと判断して一塁に投げなかったり、カバーリングに行かなかったり。頑張り切らない、頑張り切れない。そこをとにかく指導してもらいました。結果的に高校三年の夏、9回裏2アウトで回ってきて、最後のバッターになりかけたんですけど、そこで最後にヒットを打つことができて、教えが生きたというか。自分の悪いところを治せたのかなと思います。

佃さんが大学に入学した2019年、青学大は長らく二部に沈んでいるチームでしたが、当時を振り返ってどう思いますか

チームの雰囲気が緩く、自主練のチームだけど自主練をしないといった話を入部前から聞いていました。実際に入部してみて、やっぱり皆しないんだ、と実感しました。遊びに行っている人も多かったです。ただ同じ一年生の山田や片山は自主練をよくしていて、いい学年だなと思っていました。

二年目では二部で優勝して一部復帰することができました。当時試合に出ていたのは三年生以下のメンバーが多かったんですけど、だからといって四年生がいなかったら勝てていなかったなという風にも感じています。四年生が大事なところで指導とかポイントを押さえていてくれたからこそ優勝という結果につながりました。上級生って大事だな、とそこですごく感じましたね。昇格が決定した日はとても盛り上がりました。もう、お祭り騒ぎでしたね。

ただ、優勝が決まったのは他力の部分もあり、青学大野球部の悪い「らしさ」が出ていたと感じる場面もシーズン中にありました。当時青学大は7連勝中で、あと一勝すれば優勝が決まる状況でした。しかし、そのシーズン勝ち点が取れていない国士舘大に負け、次戦の拓大戦もタイブレークでも勝ち切れませんでした。最終的に優勝を争っていた日大が敗戦したことで青学大は対拓大2回戦を待たずして二部リーグ制覇が決まりました。悪い見方をすれば、他力での優勝が決まっていない状態で拓大2回戦を迎えていたら、負けていたのではないかとも思いました。

青学大野球部の良い部分と悪い部分を教えて下さい

青学大の良い部分は、先輩後輩の垣根がないような、言い合えるチームという点。また、自主練では一人一人が考えて実践的に取り組んでいる点です。悪い部分は、都合が悪くなると、実力が発揮できないという点ですかね。なんというか、脆いような感じがあります。

今年度の秋季リーグ、優勝が懸かった駒大戦でサヨナラ負けを喫し優勝を逃しましたが、あれが今の青学大の象徴です。どうにか後輩にはそれを打破してほしいですね。

四年間野球部を支えてきて、大変だったと思うことを教えてください

マネージャーとして大変だったことでいうと、自分が入部したときには既に四年生のマネージャーしかいなかったので、二年生からは自分が主務で仕事をしなければならなかったのは、心の余裕がなかったですね。実際に二年生になってからは、リーグ戦の際に着替える場所や弁当の配布時間など、パッと答えることができず、先輩に強く言われたことがありました。完全に自分の準備不足なんですけど、当時は結構メンタルにきました。一年目の甘さが出ていましたね。また、通常朝練は9時に終わるんですけど、マネージャーは監督が寮に戻るまでグラウンドから出られないため、12時に終了するような日もあり、マネージャーの拘束時間は長かったです。ただ、他のマネージャーの支えがなかったら自分はここまでやってこれていなかったですし、同期の女子マネージャーは自慢できるくらい良い三人で、本当に優しく、支えてくれました。

他に支えられたという点では北村(智紀)(総4)や小鷹(葵)(法4)です。しんどい時に相談するならその二人ですね。二年生の時にメンタルをやられた時は、優しく「大丈夫だ」とよく声をかけてくれました。

マネージャーとの集合写真。少ない人数ながら全員でチームを支えた。

山田拓也キャプテンに対して

どんな時もブレず、青学野球部の顔だと思います。自主練の文化が戻ってきたのも、拓也おかげだと思います。拓也の練習している姿が下級生にも影響を及ぼしていましたし、カッコいいです。

次の世代に向けて

あと一勝を勝ちきれないところを乗り越えてほしいと思います。

最後に一言お願いします

この野球部で四年間過ごすことができて、幸せでした。

試合を見つめる山田拓也主将(左)と佃駿太主務(右)

ありがとうございました。四年間本当にお疲れ様でした

(記事=渋谷聡志、写真=青山学院大学体育会硬式野球部提供)

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