【硬式野球】4年間で遂げた大成長の軌跡~4年生インタビュー⑧常廣羽也斗~

硬式野球

大学三冠の快挙を成し遂げた今年のチームの4年生は、先日の明治神宮野球大会で青山学院大学硬式野球部を引退しました。青山スポーツでは4年生全15名にインタビューを行い、この4年間を振り返っていただきました。最上級生としてチームを牽引してきた選手・スタッフの皆さんの熱い言葉を全10回に渡ってお届けします。

第8回は3年次から急成長を遂げ、ダブルエースとしてチームを牽引した常廣羽也斗(法4)投手編です。


淡々と剛速球を投げ込む姿が印象的なエースは、いよいよプロの世界へ足を踏み入れる。大学三冠を成し遂げた今年のチームを幾度も勝利へ導いた常廣羽也斗(法4)は、ドラフト会議で2球団競合の1位指名を受け、広島東洋カープに入団が決定した。「大学にはプロに入るために入った」この信念を胸に鍛錬を重ねた4年間、有言実行を果たした彼の大学野球生活は、必ずしも思い描いた形で進んだわけではない。

4年間で大きな成長を遂げた常廣

常廣がプロ野球選手を志したのは4年前の大分舞鶴高校時代である。高校1年生のときに勉強についていけなくなり国公立を目指すクラスから私立を目指すクラスに変更すると、時を同じくして球速が140キロを超え始めた。本人も「ベストマッチ」と語るこのタイミングは、プロへの決意を固める原点となる。

覚悟を持って飛び込んだ大学野球の前半戦はケガに悩まされ、3年生になるまでほとんど試合に出場することができなかった。そして迎えた3年春の大分開幕。地元開催となるもベンチ入りを果たせなかった常廣は、裏方として駐車場係の仕事に全力を注いだ。「『この道こっち行って、こっち行って、こっち行ったら第二駐車場です!』ってでっかい声で全員に言うんよ。面白かったよ。」四六時中落ち込んでいたわけではなく、裏方の仕事も楽しんだ。しかし、「ただ、ふと、ふと我に返ったときに、あれってなったけど。」と、表には出さない人一倍の悔しい思いも抱えていた。野球人生の中で初めての挫折となったこの経験は、彼の闘志に火をつけ、その後の活躍の原動力となる。

大分から帰ってきた後の練習には熱が入り、その成果は大分開幕から約1週間後に行われた中大戦で現れた。ベンチ入りを果たした常廣は、リリーフ登板で5回2/3を投げ6奪三振無失点の好投、さらにストレートは当時自己最速の152キロを計測し、観客をどよめかせた。3年秋のリーグ戦では絶対的リリーフエースとして君臨し、防御率0.30を叩き出す活躍ぶり。オフには代表選考合宿にも呼ばれ、評価は急激に上昇した。

2年次の常廣

絶望から始まった3年生の1年間で大きな飛躍を遂げた常廣は、今までとは桁違いの注目度を背負ってラストシーズンに入ることとなる。春の開幕前には「焦らないようにやっていきたい」と語っていたが、不調に苦しんだ4年春は言葉通りに進まなかった。チームは17年ぶりのリーグ制覇を遂げるも、自身の調子はなかなか上がらない。「この調子で全日本入ったら絶対負けるなっていう気持ちがあって、めっちゃ不安で、その時期はめちゃくちゃ精神的にきつかった」こう語る全日本大学野球選手権の前には悪夢まで見ていた。「準々決勝の中部学院大戦の前の日の夜、めっちゃ打たれて大分帰らされる夢見た。」しかし、この悪夢が功を奏した。「夢で1回もうそれ(打たれること)を経験したから」と、夢のおかげで吹っ切れた常廣は6回を投げ9奪三振無失点と好投を見せる。そして決勝のマウンドでは完投完封し、MVPを受賞。4年秋は調子を上げて最優秀投手賞のタイトルを獲得し、惜しくも四冠達成には手が届かなかったものの、秋のリーグ制覇には先発とリリーフのフル稼働で貢献。そしてドラフト会議では2球団競合の1位指名。念願のプロ野球選手となる夢を実現させ、常廣の学生野球は幕を閉じた。

最後の1年間は渡部海(コ1)と二人三脚で歩んできた

ラスト1年は数々の大舞台で登板し、勝利を挙げてきた。ここ一番の場面に強い秘訣を問われると、「すべてを諦める。」と話す。「変に勝ちとかにこだわっちゃったらそれができなかったときにさ、めっちゃ苦しくなるやん。それが怖いから、どうなってもいいやみたいな、そういう気持ち。絶望を感じながら投げる。そのメンタルで行ったら、意外と自分のやるべきこととかに集中できる」この独特なメンタリティが、彼の勝負強さを作り上げている。

常廣といえばマウンド上で一切感情を見せないポーカーフェイスが特徴的だが、このポーカーフェイスも唯一無二のメンタリティが原点だ。「不安な気持ちが大きくてうわぁって思うと、ポーカーフェイスになる。」と語り、ピッチングの時は最悪の状況を想定して投げているという。この考え方に辿り着いたのは4年春のシーズン。「4年春があんまりよくなくて、自信がちょっとずつなくなって。」「自分を守るために、勝手にそういう思考にした。」不調に苦しむ中で見つけた武器であった。しかし、ラストシーズンとなった秋季リーグの常廣は、マウンド上で吠える場面や笑顔を見せる場面が多かった。感情が表に出てくるスイッチを問われると、「ゾーンに入ったとき」と明かす。「気持ちが入る時がたまにあるんよ。そしたらなんか、叫ぶ。たまにメンタルがイケイケのときがやってくる。その時は絶対抑えられる。」と力強く話す姿も魅力の1つ。彼が闘志を見せたときに披露するイケイケ投球は、これからも観客をアツくさせてくれるはずだ。

「4年生になって、このチームで勝ちたいなって思いはちょっと強くなった。」気持ちに余裕が出てきたことで強くなったチームへの思いは、大学三冠という最高の結果で結実した。常廣にとっての青山学院大学硬式野球部は「家、帰れる場所、心許せる人たち」、4年間を共に過ごしてきた同期には「離れるのはさみしいけど、まあ、またご飯行ってください。各地でごはん誘うね。またご飯行こうね!!!!」と語り、再会を心待ちにする。

大好きな野球部を卒業して、プロ野球選手としての人生がいよいよ始まる。今後の目標を問われると「通常の状態を上げたい。10割出せたり5割出せたりじゃなくて、ずっと7割8割の力を出し続ける。それがやっぱ、下村海翔と俺の差。」「7割8割を継続して出せるピッチャーになりたい。」と、互いに切磋琢磨し成長を遂げてきた下村海翔(コ4)の名前を挙げ、次のステージでも良きライバルとしてリスペクトを持ち続ける。常廣の父・竜也さんも「羽也斗らしくマイペースで、自分のペースで頑張ってほしいなと思います。」と、エールを送った。

4年次には下村海翔(コ4)共にダブルエースを務めた

1年生の時は方言が抜けず同期からからかわれていた青年は、「ピッチングの答え」と語る中野真博コーチや、家族同然の同期、頼れるチームメイトと出会い、大きな成長曲線を描いてきた。厳しいプロの世界で生き抜くことは容易ではないが、大学4年間の濃い経験は、今後の野球人生の糧となる。どん底から這い上がり栄光を掴み取った常廣なら、いずれは球界を牽引する存在となれるだろう。常廣羽也斗の名を世界に轟かせるその日まで、彼の成長は誰にも止められない。

(記事=川﨑史緒、写真=石岡亮・川﨑史緒)


◆番外編◆

記事には組み込めなかったエピソードを紹介!

ー大学4年間の1番の思い出や楽しかったこと

「この前(明治神宮大会準決勝富士大戦)のレフト前ヒット。あれマジ嬉しいね。その前バット折れて、中田達也(社2)のバット借りて打った。」

ー下村・中島大輔(総4)とともにドラフトで指名を受けたことについて

「マジ嬉しい。(下村)海翔が阪神からいきなり1巡目で選ばれるって言うのが、本人もそうやけど、みんな多分あんまり想像してなかったっていうか、それでびっくりしたっていうのと、(中島)大輔はそもそも、本人も選ばれるか不安で。みんな俺と海翔だけ選ばれて、大輔選ばれなかったらどうしようみたいな話もしてたし。だから3人とも選ばれたときは嬉しかったです。」

ーブルペンでの時間について

「マジおもろいよ。ブルペンが一番面白いんだよ。だから俺結構中継ぎがずっと好きだったんだけど。ブルペン大好きなの。それも2年生くらいからまじブルペン大好き。神宮のブルペンが大好き。他はまあそんな、ZOZOマリンもおもろい。」

ー日米野球でのエピソード

「全然調子よくなくてどうしようって思ったんやけど、トレーナーと色々話し合って、その場凌ぎの投球フォーム完成させて投げた記憶がある。フォークボールだけはいつでも落ちるんだよ。俺、まっすぐストライクあんまり入んないけど、入んないときでも、フォークボールは絶対決まるから。フォークボール頼りで、フォークボールばっか投げて抑えてた記憶がある。」

ー今だから言える話

「1年生の時はめちゃくちゃ大分弁が出て、めっちゃ馬鹿にされた。1年生の時の同部屋が佐藤英雄(史4)で、あいつうるさいんよ、いびきが。でずっと、「うるせえっちゃ!うるせえっちゃ!」って言ってたら、「ちゃ?」ってずっと言われてた。」

ー後輩へのメッセージ

「青学今年日本一とかになってさ、めっちゃ注目度上がって、来年が多分一番きついんだよ。来年はマジで、全然知らない人に期待されるから。めちゃくちゃやってる側からしたらきついっていうか、メンタル的にもやられることが多分多いんやけど、それをなんとか乗り越えてほしい。そこで勝ったら逆に自信ついて、最強になれる。今年は勝っても強かった代で終わるけど、来年日本一とかになったらマジですごいと思う。」

コメント

タイトルとURLをコピーしました