史上5校目の大学四冠を成し遂げた青学大。その中心にいた4年生は、優勝に輝いた明治神宮野球大会をもって硬式野球部を引退しました。青山スポーツでは4年生9名にインタビューを行い、青学大硬式野球部で過ごした4年間を振り返っていただきました。最上級生としてチームを牽引してきた4年生の皆さんの熱い言葉を全9回に渡ってお届けします。第8回の主人公は大学野球界の主砲・西川史礁(法4=龍谷大平安)選手です。
東都リーグ4連覇、さらには史上5校目の四冠を成し遂げた青学大。その黄金時代を築く一端を担ったのが積極性とフルスイングが持ち味の主砲・西川史礁だ。今年の青学大、そして大学野球界を語る上で彼の名前を外すことはできない。2024年の主役として、その名を刻み込んだ。
西川が青学大を選んだ理由は兄・西川藍畝(21年済卒)の存在にあった。4つ上の藍畝は青学大硬式野球部のOBで、4年次にはチームの主将も務めた。幼い頃から藍畝の背中を追い野球を始めた西川にとって、青学大は憧れと目標が交錯する場所だった。兄の存在という縁もあり、青学大への入学は早い段階から決めていたという。西川は「1年生から試合に出場して活躍する」という大きな期待を胸に、青学大の門を叩いた。しかし、現実はそう甘くなかった。大学2年までに放ったヒットはわずか2本。「大学野球は甘くないと痛感した」と当時を振り返った。
今や青学大を日本一に導いた今季の4年生たち。しかし下級生の頃は「問題児学年」とも言われるほど、だらしない学年だったという。西川は「いやあ、もうひどかったですね」と苦笑いを浮かべるほど。当時1年生だった西川も試合に救急箱を持っていくのを忘れたこともあったそうだ。そんなエピソードを振り返る彼の表情からは、先輩たちに注意されながら成長していった日々があったことだろう。
上級生になり、西川の意識は大きく変わった。「1、2年出れなくて悔しい思いした分、3年生にかける思いっていうのはこれまで以上に多かった」と話す西川はスイングやウエイトトレーニングにも重点を置き、すべての練習量を倍増。また食事など私生活面においても徹底的な見直しを図った。このような地道な努力が実を結び始めたのは3年次のことだった。“4番・レフト”でのスタメンが定着し、春季リーグでは最高殊勲選手賞も受賞。さらに大学日本代表にも選出され、4番を任されるほどに成長した。今春の侍ジャパン欧州代表戦のメンバーとしても活躍し、大学生の枠を超えたプレーを見せた彼の姿は、今もなお多くの人の記憶に鮮やかに残っていることだろう。
大学ラストイヤーを迎えた今年、西川は4年生として、そしてチームの主砲として結果を残し続けてきた。しかしシーズン終盤に差し掛かった頃、西川に悲劇が襲いかかる。9月25日の日大戦、西川の右手に死球が直撃。のちの検査で右手人さし指の骨折が判明した。「自分節目の年に弱いんですよ。高校でも最後怪我して試合に出れなくて、小学校のときも最後怪我して。それが大学でもハマった」と自身の不運を打ち明けた。
迎えた明治神宮大会。慶應大に敗れた悔しさから1年、チーム全員が特別な思いを抱いて挑んだ。西川はなんとかベンチ入りには間に合ったものの、DH制がない大会形式の中でスタメン出場は叶わず、代打としての一打席に全てを懸けることになった。
準決勝の天理大戦、9回裏。真っ白なユニフォームを纏いバットを握りしめた西川が姿を見せた。離脱後初打席西川が打席に姿を現した瞬間、空気が一変した。興奮の波が押し寄せ、球場のボルテージは最高潮に達した。当時の様子については西川も「ほんとに鳥肌立ちました」とあの熱狂的な場面を振り返る。「(リーグ)優勝しないと自分はあの場所に立っていなかったので、みんな連れてきてくれてありがとう」と仲間の感謝を胸に打席に立った。持ち味のフルスイングを初球から披露するも「力みすぎた」と60日ぶりの打席は三振に打ち取られる。しかしそこにあったのは悔しさだけでなく、仲間と共に戦えた喜びに満ちた充実の表情だった。
翌日行われた決勝戦では創価大との激闘の末、青学大は見事に明治神宮大会を制し、悲願の四冠を達成した。西川は「四冠というのはこれまでの中で一番楽しかったし、嬉しかった。それが4年間で一番の思い出です。」と笑顔で話した。また、先輩たちの存在が今季の快挙の一因となっていた。「大輔(中島、24総卒・現東北楽天ゴールデンイーグルス)さんがキャプテンですごく野球がやりやすくなったと思ってて。今年は4年生一人一人が後輩たちのやりやすい環境というのを常に考え続けてきて、引っ張っていかなきゃいけないという一人一人の意識がこういう結果に繋がったんじゃないかなと思います」と語る。「問題児学年」と呼ばれた学年が意識を変えたことで、チーム全体が成長し、そして偉業を成し遂げた。その変革こそが、黄金時代を築いた大きな要因だったのだろう。
加えて今年の西川を語る上で欠かせないのはやはり千葉ロッテマリーンズ(以下ロッテ)への入団だろう。今年のプロ野球ドラフト会議ではオリックス・バファローズとロッテの競合の末、ロッテが一巡目指名で交渉権を獲得した。西川はロッテからの指名は想定していなかったというが今では「本当にロッテでよかった」と心の底から話す。西川の背番号は青学大の大先輩であり、ロッテの名選手としても活躍した井口資仁氏も身に着けた“6”。「ロッテにとって6番は特別なものだと思いますし、その背番号を自分に託してくださった球団の皆様には感謝の気持ちでいっぱいですし、その思いをしっかりと胸に、生涯全力をかけてロッテでプレーしていきたいと思う。」と話した。
ドラフト1位という立場は、大きな期待を背負うものだ。しかし、西川はその期待をプレッシャーとは感じていないという。「逆にそれをプラスに変えて、もっともっと自分の名前を全国に広めたい」と語るその表情には、自信と前向きなエネルギーが満ち溢れていた。その堂々たる姿から、彼がプロの世界で確かな活躍を見せるのは間違いないだろう。
西川は青学野球部を「最高の場所」と自信を持って言う。この4年間は、挑戦と挫折、そして成長の物語だった。青学大硬式野球部の一員として仲間とともに掴んだ栄冠、そしてプロの世界への大きな一歩。そのどれもが彼の努力と覚悟、そして周囲への感謝によって彩られている。これから西川は、大学野球界で培った経験を武器に、プロの世界でもで新たな歴史を刻んでいくだろう。フルスイングで未来を切り拓くその姿が、きっとファンや仲間、そして新たな世代の選手たちに勇気を与えるに違いない。これから始まるプロ野球での活躍に期待が膨らむばかりだ。
(記事=比留間詩桜、写真=遠藤匠真・田原夏野・比留間詩桜・山城瑛亮)
◆番外編◆
記事には組み込めなかったエピソードを紹介!
―どの球団からの指名を予想していたか
「オリックスは予想してたところではあって、そこが指名してくれて単独指名かな、って思ってたんですけど、そこでロッテが自分の名前を呼んでくれて、お!ってなりました。びっくりしました。」
―ロッテの新入団選手との交流は?
「社会人の方もいい方ばっかりで大学生、高校生もみんな優しくて喋りやすい。同じ年に入団できたのがこのメンバーでよかったなと3日間通して思いました。」
―㊙エピソード
「佐藤尊将(総4=智辯学園)は自分(西川)のことがいちばん大好き。同部屋になった瞬間抱きつき合いました。」 (取材中、背後にいた佐藤選手は照れ笑い)
―来年以降期待する選手
「キャプテンの夏暉(藤原、法3=大阪桐蔭)で。夏暉もリーグ戦とかで悔しい思いをしたことはたくさんあったと思うし、四冠を達成した次の代のキャプテンというのはほんとに難しいと思うけど、どれだけ夏暉がチームを引っ張ってくれるかというのはほんとに楽しみです。」
―応援してくださったファンの皆様へメッセージ
「4年間本当にありがとうございました。またこれからも青学野球部を1人でも多く神宮に足を運んで応援してあげてください。」
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