【硬式野球】優勝記念!監督コーチ特別インタビュー ~安藤寧則監督 前編~

硬式野球

今年圧倒的な強さを見せ17年ぶりの東都大学野球リーグ制覇、そして18年ぶりの全日本大学野球選手権制覇を成し遂げた青学大硬式野球部。その野球部を率いたのが2019年から監督に就任した安藤寧則監督だ。今回は前編と後編の2回に分けて安藤監督に迫る。前編では安藤監督のチームづくりについてお伝えする。


 

今回の春の率直な感想を聞くと「選手がよーやってくれた!嬉しいね!」と喜びの声を聞かせてくれた安藤監督。今シーズンはリーグ初戦の駒澤大戦に敗れたものの、それ以降は14連勝で全日本の頂点まで上り詰めた。だがここに辿り着くまでには安藤監督の苦労と徹底したチームづくりが隠されていた。安藤監督は岡山県出身で岡山大安寺高校から青学大へ進学。青学大野球部の4年間では学生コーチや学生審判員など裏方の仕事を務めた。3年生からはそれらの仕事をこなしつつ、青山学院高等部の硬式野球部の監督に就任。卒業までは大学の野球部と高等部の野球部を行き来する多忙な生活を続け、卒業後は大学職員として高等部の指揮を続けた。

 

そんな中、青学大は2014年秋から東都大学野球リーグ2部に低迷。それと同時に河原井正雄元監督が退任。しかし一向に成績が上向くことはなく、2018年に河原井元監督が再就任した。しかし名将の手でも再建することは難しく、1年限りで退任。そこで後任として候補に上がったのが安藤監督だった。しかしその頃の安藤監督は高等部監督の退任を考えていた頃であった。安藤監督は長男であり、実家の家業を引き継がなければいけないという気持ちが残っていた。さらに大学の監督を打診された際には「どうして俺が?もっと他にいい監督がいる」という気持ちもあった。そのため安藤監督は打診を何度も断ったが、結果的に両親や家族に背中を押され正式に青学大硬式野球部の監督に就任した。就任した当時は大学野球の名門チームを指揮することや生徒を指導することへの責任感があった。また就任した当初のチームの現状から記者に「よく引き受けましたね」や「すごい覚悟ですね」と質問を受けることがあった。しかし安藤監督は「僕以上に嫁、両親、兄弟の方が覚悟が大きかったと思います」と話す。東都大学野球リーグという大学野球トップクラスの監督であると家族にも大きな覚悟が伴う。そうした中で2019年より指揮を始めた。

 

安藤監督がチームに合流し見たチームの第一印象は「ぬるかった」ことである。選手同士がお互いに悪い意味で気を遣い「これを許すの?」と安藤監督が感じたことでさえも選手同士で注意をすることはなかった。硬式野球部は青学大で強化指定部に指定されており、そのような環境にわざわざ入学し何をしているんだと葛藤したそうだ。だが同時に「だから2部なんだ」という考えにも至った。しかしチーム再建の手応えはすぐに感じた。チーム合流直後に部内で大きな問題が起こり、部員1人1人と面談をする機会があった。その中で選手と話を進めていくと「ちゃんと野球をやりたい」と語る選手が予想よりも多かった。面談を重ねていくごとに思いを持っている選手が多いことに気づき、安藤監督のチーム再建は大きく動き出した。安藤監督はチーム再建に向けて、野球のことから普段の生活のことまで話しながら選手の意識を変えていった。取り返しのつく範囲の間違った行動であればその都度話し、次からは許さないといったスタイルでチームを変えていった。これは安藤監督の「一線というものの枠を教えたかった」という想いのもとの行動であった。

 

そして2020年の秋季リーグで念願のリーグ優勝を果たし、1部昇格を果たした(新型コロナウイルスの影響で入替戦がなく、自動昇格となった)。この優勝は安藤監督の逆算よりも上手くいったことが要因と話す。安藤監督は毎回のリーグ戦ごとに優勝から逆算をして様々な試合のプランやリーグ戦の進め方を考える。その逆算を上回ったのがこの年の秋季リーグだったのである。さらにコロナウイルスの蔓延が野球に向き合う時間を増やした。この年は春季リーグが中止となり、大学の授業も全てがオンラインでの開講となった。当初は野球部の活動にも制限があったものの、キャンパス内に寮とグラウンドがある硬式野球部は制限が緩和されていった。選手らはオンライン授業をこなしつつ、普通の大学生活を送るよりもみっちりと練習をすることができた。その結果、秋季リーグでは先発投手を松井大輔(コ4・県岐阜商)と下村海翔(コ4・九国大付)の2人でローテーションを組み、捕手は佐藤英雄(史4・日大三)と1年生バッテリーでリーグ戦を戦った。「コロナが良かったとは言いたくない」と前置きをしながらも、当時の社会の変化が青学大をいい方向に向かわせるきっかけとなった。

当時昇格の立役者となった松井

 

そして1部リーグに昇格してからは2021年秋季リーグでは最後まで優勝争いに絡むも3位、2022年は春季・秋季ともに前半戦で首位を走るも後半に失速するなど優勝が見えながらも遠い戦いが続いた。この理由として体力がなかったこととレベルの問題を挙げた。安藤監督自身が「このチームなら大丈夫!」と思っていても、実際には優勝をするレベルにはまだ達していなかったのかもしれないと話す。それでも安藤監督の心の中には「なんで負けなきゃいけないんだ!」といった強い気持ちが常にあった。では逆になぜ今年は優勝ができたのか。それは選手が経験を活かしてくれたからと安藤監督は話す。東都の激しい試合を重ねていく中で、あらゆることがわかってくるがそれらを選手がしっかりと練習にフィードバックしている。安藤監督でも「ここまでこだわるのか!」と感じるほど練習を徹底し、年々質が向上していった。全日本の決勝でもミスがなかったわけではなく、全日本の後の初めての練習では中島大輔主将(総4・龍谷大平安)がその点を意識した練習を計画した。経験を積み重ね、結果にとらわれることなく練習の質の向上に取り組んだご褒美が今回の2冠であると安藤監督は話した。

全日本の決勝後、涙を流す安藤監督

(記事=遠藤匠真、写真=遠藤匠真・川﨑史緒・童野翔也)

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