【硬式野球】怒涛の大学ラストイヤー~4年生インタビュー⑩中島大輔~

硬式野球

大学三冠の快挙を成し遂げた今年のチームの4年生は、先日の明治神宮野球大会で青山学院大学硬式野球部を引退しました。青山スポーツでは4年生全15名にインタビューを行い、この4年間を振り返っていただきました。最上級生としてチームを牽引してきた選手・スタッフの皆さんの熱い言葉を全10回に渡ってお届けします。

最終回となる第10回は野球人生で初めて主将を務め、チームを日本一に導いた中島大輔(総4)選手編です。


今季大学三冠を成し遂げた青学大硬式野球部。そのチームの主将として牽引したのが中島大輔(総4)だ。4年生として迎えた今年度は春季リーグでベストナイン、秋季リーグでMVPを獲得し、プレーでもチームを引っ張った。さらに7月に行われた第44回日米大学野球選手権では大学日本代表に選出。さらに日本代表では主将を務め、16年ぶりにアメリカ開催の日米大学野球選手権での優勝へとチームを導いた。青学大で主将を務めるまで、野球人生でキャプテンを務めたことがなかった中島にとって怒涛とも言える1年間とドラフト会議について話を聞いた。

日本代表で主将を務めた中島

今年1年を振り返って「しんどかった」と中島は振り返る。中島にとってキャプテンは初めての経験。そんな中で任されたのが東都大学野球リーグのチームの主将。東都リーグは毎年プロ野球選手を多く輩出しており、注目度が非常に高いチームだ。春先のインタビューで「主将はチームの顔で、プレッシャーを感じている」と話していたが、そのプレッシャーは1年を通じて中島に重くのしかかった。さらに春季リーグを圧倒的な強さで制し、その勢いのまま日本一まで上り詰めた青学大にはそれまで経験したことのなかったような注目を浴びることになった。そんな中で中島は重圧や不安を抱え込むことが多くなっていった。そんな中でもリーダー経験が豊富な副主将の中野波来(法4)らの助けもあって1年間務め上げることができた。しかし主将を務めたことで得られたことも多かった。その1つが自分を出せるようになったことであると話す。下級生の頃から試合に出場していた中島だったが、心の中で思うことがあっても口に出すことはなかった。しかし主将になったことで自分の意見を話すことの重要性が増した。その結果隠すことなく自分の思っていることを話すことができるようになった。辛いことも多かった1年間だったが、それ以上に得るものも多かった1年間だろう。

副主将の中野(右)と中島

大学4年間で最も印象に残っていることを尋ねると全日本大学野球選手権での優勝を挙げた。4年生はチームで唯一2部リーグを経験している世代である。そんな4年生が日本一まで上り詰めた。「願いは叶うんだなぁと思いました」としみじみと話した中島だが、本当に達成できるのかどうかという疑問を常に胸に抱いていた。インタビューなどで目標を聞かれると、中島は「リーグ優勝と日本一です」といつも答えていた。4月に発行した青スポ83号に掲載されたインタビューでもそう答えている。しかし口では言うことができても、実際にその目標を達成できるのかどうかと中島は思っていた。しかし2部から昇格して日本一に上り詰めるという下剋上を達成したことで、中島だけではなく多くの4年生が当時は考えてもいなかったことと語っている。

日本一を達成し胴上げされる中島

また四冠まであと一歩届かなかった神宮大会についても話を伺った。中島は初戦の日本文理大戦で足首を負傷。まともに歩くことができず、準決勝の富士大戦を欠場。しかし決勝の慶応大戦に出場し、怪我を負っていた右足に死球を受けながらも直後に盗塁を決め最後までチームを鼓舞し続けた。本来の走塁ができる状態ではなかった中での盗塁について、準決勝でのエピソードがある。出場できない中島に変わって代役に抜擢されたのが2年生の中田達也(社2)だ。その中田は中島の欠場がわかってから「メラメラしていた」と安藤監督が試合後に語っていたほどで、起用に応える先制2ランホームランを放った。そんな中田は試合前の円陣で「大輔さんのために決勝に行きましょう」と円陣の中心で話した。それを聞いた中島は感動し、決勝では「いくしかない」という気持ちになり「最後に勝つために頑張ろうと思えた決勝戦だった」と語った。実は準決勝の前日に中島は中田に「俺は春の富士大戦無安打だから気負わずにいけ!1本打ったら俺よりもすごいよ」と声をかけた。壮絶な戦いとなった準決勝の裏には先輩とその先輩を尊敬する後輩のこんなエピソードが隠されていた。

ホームランを打った中田を迎え入れる中島

中島は先日のドラフト会議で東北楽天ゴールデンイーグルスから6位指名を受けた。指名された瞬間を振り返り「嬉しかったし、ホッとした」と話した。中島は事前に受けていた社会人からの誘いを断りプロ一本でドラフト会議に臨んでいた。名前が呼ばれないまま各球団の指名が進み、指名終了も始まり始めた時間帯だった。中島の頭の中にも指名漏れがよぎり始め「無理かな」と感じ始めていたタイミングでの指名だった。先に1位指名を受けた常廣の新井貴浩監督からの指名挨拶中だったが、仲間から盛大な祝福を受け新井監督からも粋な祝福を受けた。小さい頃から夢見ていたプロ野球選手。そしてテレビで見ていたドラフト会議の場で自分の名前が呼ばれることで「夢みたいな気分で、状況が理解できていない状態だった」と振り返った。

指名の瞬間、仲間から盛大な祝福を受けた

史上4校のみが達成していた大学四冠まであと一歩だった1年。「悔しい気持ちもあるけれどやり切った」と振り返る中島は後輩の偉業達成への期待を寄せる。全員が経験した四冠までの道のりと難しさ。その経験を活かして四冠をもう一度目指してほしいと話した。主将未経験から日本一のチームと日本代表の主将を務めた怒涛の1年間。その経験はプロ野球の世界でもきっと活きることだろう。東北の地で背番号32が躍動する瞬間を楽しみに待っている。

(記事・写真=遠藤匠真)


 

◆番外編◆

記事には組み込めなかったエピソードを紹介!

―期待の後輩は?

「西川史礁じゃないですかね。高校の後輩でもあるので。期待でしかないです」

―仙台の人に見てもらいたい部分

「やっぱり脚ですね。1番の武器は何かって言われたら脚なので走攻守どの面でも脚使ったプレーで。あとは積極なプレーを見せれたらいいかなって思います」

―仙台のイメージ

「やっぱり牛タン。あとは和歌山なので雪降らないんですよ。なので雪っていうのは、まあ何年かしたら鬱陶しくなると思うんですけど、最初は楽しみです」

―プロではどんな選手になりたいか

「一番は応援される選手で目標にされる選手かなって思います」

―対戦したい選手は?

「佐々木朗希投手。同い年なんで、メジャーに行く前に戦いたいですね」

―会ってみたい選手

「田中将大投手。なんかもうマー君って呼べないんだなっていうのが実感も湧かないんですけど、チラッと見たんですよ。めちゃくちゃデカかったですね。めちゃくちゃ見ていた頃からの選手なのでチームメイトっていう感じはしないですね」

―プロになった実感は

「まだないですね。ユニフォームを着てもコスプレにみたいな感じというか…」(その後仙台駅や東京駅でサインを求められた瞬間と話していました)

―今江監督のイメージ

「ちっちゃい時に見てたのはクライマックスとか日本シリーズとかシリーズにめちゃくちゃ強いっていうイメージで勝負強い人だなっていうのが選手時代のイメージです。(先日仮契約の時に)めちゃくちゃかっこいいですね。オーラがあって、いい匂いがしました」

―楽天のドラフト1位は古謝樹投手(桐蔭横浜大)だが

「(日本代表で)東都のピッチャー以外で1番関わったのが古謝だったんじゃないかなっていうくらい結構しゃべってたんで、嬉しかったですね。選ばれて1位誰だ?ってなって古謝だったんで」

―プロでの抱負は

「1日でも早く1軍の試合に出ます!」


今回をもって10回にわたってお伝えした4年生のインタビュー企画が終了となります。4年生の皆さん本当にお疲れ様でした。そして4年間取材へのご協力ありがとうございました。皆さんの今後の舞台でのご活躍をお祈りしております。

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